ティルソン・トーマスMTTのマーラー交響曲第5番
マーラー交響曲第5番
サンフランシスコへ連れて行くパワー
私はこのCDを聴いて、「本当にこんな演奏をやっているのか?」とティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団に興味を持ち、サンフランシスコへ確かめに出かけるきっかけになったので、非常に思い出深いCDです。
寂寥感
冒頭、オーケストラが三連符で入るところから、まとっている音の情報量がただならぬ感をかもしていますが、私が最初に「!」と思ったのが、1楽章の第2主題の入りでした。そのアウフタクトの寂寥感がとても心に響いたのです。
(ピアニッシモで出る音量の録音レンジの幅にもあ然となる)
ティンパニはじめ、葬送行進曲のベースになるリズムも見事。
核心を突くリズム
5番で何と言っても素晴らしいのは2楽章です。
特に再現部に入って322小節目から351小節目まで。351小節の最後の裏拍が完璧に決まります。
攻めのスケルツオ
3楽章は、優美に流れを優先した演奏が多いですが、この演奏はアグレッシブなスケルツオです。
最初から最後まで細かいチャレンジをたくさんやっているので、曲の長さが気になりません。
MTT的美の世界
4楽章アダージェットは、MTT的美の世界。極細の絹糸が、一糸乱れずに流れていくイメージでしょうか。
オーケストラに天然で歌わせる演奏の対極です。
サンフランシスコ交響楽団のオーケストラとしての“格”を考えたとき、今のサウンドはアクがなくて、凡庸な指揮者が来ると演奏がきれいすぎる傾向にあります。したがって、オーケストラにもっと訛りのような個性があってもいいと思いますが、ティルソン・トーマスのような能力のかけ合わせを持った指揮者にめぐり逢う機会はめったにないことでしょうから、今はこのコンビでどこまで到達できるのか、この路線で突き進むしかないのだと思います。極めた先に何か見えてくるものもあるでしょうし。
5楽章は難しい
私は5楽章は難しいと思います。3楽章までのように、リズムやモチーフなどのいろいろな要素を表現することで面白みを出せる部分が少ない。対位法を明確に出すくらいしかない。
したがって、ティルソン・トーマスの身上である練り上げを発揮できる場が少ないと思います。
しかもMTTは、コーダを感動の渦に持って行き、うまくまるめるようなことも殊更やらず、曲を等身大に見せて終わります。
目につくのは、コーダに入る前の748小節。一般的な演奏だと、「タータタ」とその小節からコーダのテンポで入りますが、ティルソン・トーマスは最初の「ター」までリタルダンドのテンポできて、「タタ」からコーダのテンポになります。
楽譜を見ると、その小節はアッチェルランドと書いてある。それまでずっと「タータタ」できたのに、そこだけ音価が変わるのは不自然なのか?749小節の前に二重線があること、なぜマーラーはアッチェルランドと書いたのかと考えると、MTTで正解?どうでしょう?
こういうディスクは出てこない
私は、今後こういうチャレンジングなディスクが他から出ることは、なかなかに難しいのではないかと思っています。
なぜならこのディスクは、ティルソン・トーマスとオーケストラはもちろんですが、つまるところ
「好きなように作っていい」
と彼らに機会を与えてくれたサンフランシスコの人たちの民度というか文化度というか、街の心意気のようなものの力だと思うからです。
これぞアメリカのNPOセクターのパワーなのでしょう。
(2008年10月記載)
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