ティルソン・トーマスMTTのマーラー交響曲第3番/亡き子をしのぶ歌
マーラー交響曲第3番/亡き子をしのぶ歌
交響曲第3番
3番は、ティルソン・トーマスが言うところの“slice of life”がそこかしこから聴こえてくる演奏だと思います。
神は細部に宿る
私はティルソン・トーマスの演奏を聴くと、「神は細部に宿る」という言葉をよく思い出します。
マーラーがオーケストラの主要なレパートリーになって久しく、マーラー演奏も進歩しました。ケント・ナガノやジンマンなど最近の録音は、どれもその進歩を反映していると思います。
そんな中でティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団コンビの存在意義は?と考えると、細部まできっちり考え抜かれていて、表現の一つひとつに説得力があるということと、切り口というか断面の鮮烈さなのではないかと私は思います。
聴きどころ
皆さんに聴いていただきたいところをあげると、
- 1楽章315小節からのマーチのところ。テンポといい、晴れ渡る青空にスカッとしていてサンフランシスコそのもの。
- 3楽章34小節目から背景で弦が「さやさやさやさや」鳴っているところ。ここまで風の音に聴こえる演奏は他にありません。
- 5楽章の「ビンバム」。声のフレッシュさと強弱、響きなど、人間の声を鐘の音として使っている表現が見事。私がMTTはコーラル作品が素晴らしいと思うゆえんです。65小節目から楽想が変わるところのデュナーミク、最後の小節の終わり方も印象的。
- 6楽章252小節のトランペットで出る主題からコーダに向かっていく部分。朝日がさしてくるかのように始まり、ラストまで壮大に歌い上げます。
人間は成長する
ティルソン・トーマスは、1990年にロンドン響と3番を録音しています。
こちらは基本は変わらず、フレッシュさもあるものの、今のようにきっちり練り上げて詰まっている感じはありません。BMGに移って以降のような録音へのこだわりもなし。
これを聴くと、今の境地に至れたことも、表現する場を得られたことも、本当に良かったと思わずにいられません。
ジャケットのMTTはシャープな顔立ち。私が彼に気づいたときは、既に60歳を過ぎていたので、今となってはブイブイ言わせていた姿(?)をこの目で見られなかったのだけが残念。
亡き子をしのぶ歌
この作品では、どうにも拭い去ることのできない寂寥感が根底に流れ続けています。5番の感想にも書きましたが、私はティルソン・トーマスの表現の中で、この寂寥感がとりわけ好きです。
メイキング
サンフランシスコ交響楽団が作ったマーラーのレコーディングプロジェクトのプロモーション用DVD(非売品)には、この「亡き子をしのぶ歌」のリハーサル風景が入っています。ティルソン・トーマスがオーケストラに第5曲「こんな嵐に」の嵐の表現を説明しているシーンがあるのですが、そのテンションと目つきが尋常ではなく、このエネルギーこそがこのシリーズを生んでいると思わせるものでした。
レコーディング・プロデューサーのノイブロンナー氏が、「マイケルは信じられないフィーリングの持ち主で、彼のために作曲されたに違いないって思うときがあるよ」とコメントしていたのが象徴的。
さらにサンフランシスコ交響楽団のエグゼクティブ・ディレクターのAssink氏からは、「マイケルは、マーラーと同じボキャブラリーを持っている」との追い討ち。洗脳?
演奏は、ミシェル・デ・ヤング(首の太さが、MTTの2倍くらいありそう)のメゾ・ソプラノが、オーケストラと一体化した世界をつくり上げています。非常に完成度高く仕上がっており、決して交響曲第3番のおまけではありません。お気に入りです。
(2008年10月記載)
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