ニュー・ワールド交響楽団のオープニング・コンサート
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ニュー・ワールド交響楽団のオープニング・コンサート
ニュー・ワールド交響楽団の新キャンパスのオープニング。いよいよ新しいホールでの本格的なコンサートのお披露目です。
1曲目:さまよえるオランダ人序曲
演奏前に正面スクリーンに曲名、簡単な曲の紹介(5行程度)、ワーグナーの肖像が映し出されます。特に鑑賞の助けになるとは思えませんが、インフォメーションとしての役割。
演奏については、正直「あれれ」と思いました。この曲はルツェルン音楽祭でサンフランシスコ交響楽団との演奏を聴いたので、そのときに印象が強かったからかもしれません。精度とまとまりが今一つのように感じました。
ホールは一番列が多いところで13列なので、舞台が近い。でも小さいホールでオーケストラを聴くアンバランス感は全くなく、非常にリアルな音場。
ティルソン・トーマスはいつものハッスル。
2曲目は新作
トーマス・アデスに委嘱した「ポラリス」(Polaris: Voyage for Orchestra)です。
アデスはラトルのベルリン・フィル就任披露のときも曲を書いていますが、その時はあまりピンと来なかったのですが、今回はわりとわかりやすい曲だったと思います。
ポラリスという名前は、韓国ドラマ(冬のソナタ)の威力により、アジア一帯にはおなじみですが、なぜポラリスかと言うと、4つあるサテライトの舞台から金管が演奏するさまが、指揮者を中心にぐるりとまわっているようだからなのかなと思いました。解説を見たら、この曲はセリーで書かれており、12音全部を使っているのだけれど、もとの場所にもどってくるように出来ているそうで、その意味でもポラリスなのでしょう。
そしてこの作品には、今回の目玉のひとつ、Tal Rosner に委嘱した映像が組み合わされました。
映像はサロネンのトリスタンのとき同様、抽象的なもので、特にストーリーはわからなかったです。
岩に打ち寄せられる波しぶきから始まる
ドット(水玉)のアニメーション
女性ふたりが波打ち際に残された様子
違うアングルから
音楽の衝撃に合わせて映像が切り替わる
(写真はニュー・ワールド・シンフォニー提供)
天井全体が帆のようにカーブしたスクリーンになっているので、そのスケールは非常に大きく、包まれている感じがします。そして目の前のオーケストラとダイナミックな映像の組み合わせは、体験したことのない不思議な世界。違和感は特になく、大きなチャレンジであることをひしひしと感じました。
曲は最後どういう楽器の組み合わせなのか見当つかない宇宙的な音がして終わり。
アデスは想像していたよりもずっと大柄で押し出しが強い印象の人でした。
後から思い返してみるに、映像つきで新作のような知らない曲を聴くと、映像と音に注意力が分散するので、音楽だけ聴いたときよりも音楽についての記憶が薄い気がしました。同じプログラムで2回目に聴いたときは、音楽によりフォーカスして聴けたので、非常によく出来た作品であると思いました。ニューヨーク・フィルはじめ、いくつものオーケストラでも演奏することが決まっているそうです。
3曲目、プログラム後半はコープランドの交響曲第3番
前半の演奏は何だったのか?と思うほど、オーケストラの演奏は良かったです。
こなれていたし、自信を持って弾いていました。おそらく今週は演奏する曲が非常に多いので、準備に差があったこともあるのでしょう。そしてそういうことが聴き手にダイレクトに伝わってしまうクラシック音楽って難しいなあとあらためて思いました。
静けさの表現は、正直期待したほどではありませんでしたが、ジャジーなところがノリノリに決まり、非常にティルソン・トーマスらしかったです。
ニュー・キャンパスのオープニング・コンサートにこの曲を選んだのは、アメリカ発のオーケストラ音楽を発信するという、ティルソン・トーマスはもちろん、コープランドやバーンスタインなどの先人たちの思いが連なって今に至ることの現れでしょうし、そもそもアカデミーを「ニュー・ワールド・シンフォニー」という名前にしたゆえんであると思います(マイアミでは、“ニュー・ワールド”というのはよく使われる表現だけれど)。
今回この曲で聴き手に「これがホントのニュー・ワールド・シンフォニー!」と言わしめるにはまだ先の道のりがあることを感じさせるものでしたが、ぜひこれからもがんばってほしいです。
ニューヨーク・タイムズのレビュー
(さすがの文章!)
ちなみにオープニング・コンサートには、アメリカの主要な評論家、ザーリン・メータをはじめとする各オーケストラのエグゼクティブ・ディレクター、オーケストラ・リーグのトップなどが勢ぞろいでした。
(2011.1.26)