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サンフランシスコ交響楽団への助成金削減案は結論持ち越し

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サンフランシスコ交響楽団への助成金削減案は結論持ち越し

サンフランシスコ市の財政監視委員会プレジデントのぺスキン氏が提案していた、サンフランシスコ交響楽団への市からの補助金・助成金の大幅カット問題は、必要な賛成が得られず、ぺスキン氏の任期が来年1月に切れることから、2月以降に新しい委員会メンバーで再度議論されることになりました。

今回の話は、芸術支援に関して私たちに考える材料を様々に提供していることから、整理してみました。

ティルソン・トーマスへの高給批判を振り返る

これに対しては、MTT擁護の声が相次ぎました。

彼はサンフランシスコの最高のアンバサダーの一人であるとか、もし彼を失うようなことがあったらその損失は計り知れない等の声が上がったことで、あらためてサンフランシスコでティルソン・トーマスが築いてきたものの大きさを知らされたように思います。

SFS Media等の支払いが、実質上MTTへの支払いなのではないかと指摘された件については、情報開示と説明責任の問題でしょう。過去の記事にも書きましたが、批判的な人に突っ込まれる材料を提供しないよう身辺をすっきりさせておくことも、ここまで存在が目立つ以上、避けて通れない責任だと思います。

高給批判された人は他にもいる

今回高給批判されたのは、音楽監督だけではなく、エグゼクティブ・ディレクター(経営トップ)とコンサート・マスターも同様でした。

エグゼクティブ・ディレクターの報酬

サンフランシスコ交響楽団は、エグゼクティブ・ディレクターに約44万ドルの報酬を払っており、ティルソン・トーマスはやむを得ないとしても、こちらは高すぎるという声が多かったです。

Charity Navigatorのデータを見ると、アメリカのトップクラスのオーケストラのエグゼクティブ・ディレクターの報酬は、40万〜50万ドルが相場(ロス・フィルは約86万ドルと高い)。

エグゼクティブ・ディレクターは、経営面と芸術面の両方を統括しており、この二つでの経験と実力が必要。世の中、経営の人材は多いですが、芸術面の能力を兼ね備えた人となると、マーケットはぐっと小さくなる。常識的に考えても、一つのスキルしかない人より、複合スキルがある人の方が値段が高くてあたり前だと思うのですが、「公的支援を受ける団体」として妥当な額かという観点から見ると難しい。

参考までに、ボード・メンバーは無報酬。シンフォニーやオペラのボード・メンバーになることは、あらゆる慈善活動の中でもステイタスがあります(多額の資金を調達してくる役割も伴う)。21世紀の国富論という本を出したシリコンバレーのベンチャー・キャピタリストの原 丈人さんは、サンフランシスコ・オペラのボード・メンバーだそうですが、これはなかなかなれない。

コンサート・マスターの報酬

コンサート・マスターの報酬約42万ドルもやり玉に上がっていましたが、こちらもアメリカのトップクラスのオーケストラは、ほぼ横並びの金額になっています。

この金額こそ批判される筋合いにないと言えるでしょう。コンマスのバランチック氏は、MTTと違ってぱーぱーしゃべったりしないのですが、彼の貢献は皆が認めるところだと思います。

評判の悪い国アメリカ

一連の騒動の中で、ミラノ在住のアメリカ人の方が個人のブログに書いていた記事が印象に残りました。内容を要約すると、

今海外で、アメリカという国のイメージは悪い。そんな中でアメリカのオーケストラが海外に出て行って演奏すること、トップクラスのオーケストラがたくさんあって、それらのレベルがとても高いことは、海外にいるアメリカ人にとって誇りに思えることである。ティルソン・トーマスはこの先頭に立っている。アメリカ人は、オーケストラのこの役割の価値に気づくべきだというもの。

これは、国内でコミュニティへの貢献にばかり着目していては出てこない意見だと思いました。

行政からの資金援助を受けることの意味

今回の予算問題で議論されていたのは、救急医療、自殺防止、AIDS予防、ホームレス対策等どれも重たいものばかり。緊急性とか贅沢かという基準に立つと芸術は分が悪い。

それでもシンフォニーやオペラは政治力があるので、かなり巻き返しに出ていたようです。

確かに行政からの支援額は、サンフランシスコ交響楽団の予算の5%にも満たないし、自分たちで資金調達する力もあるのだから、行政からの支援は重要ではないと考えることもできます。

支援したい人たちが支援する形であれば、今回のような高給批判にさらされることもない。

他方、サンフランシスコにとってシンフォニーやオペラは観光資源でもあるし、都市にとってシンボリックな存在であること、公立学校へ音楽教育のプログラムを提供する機関でもあるということを考えると、そういうところに行政が資金を出さなくていいのかということも問題になる。これは全く文化政策の判断だと思います。

また行政から資金が出ているということは、今回のように内容を精査される機会が出てきて、そこで人々のチェック機能が働くし、みんなが関心を持つ対象(=みんなのもの)になるということでもあるのだと思います。

行政からの資金が継続されることは、この一点をもってしても大きいのではないでしょうか。

いずれにしても市の財政難はさらに厳しくなることが確実だそうで、この経済環境下、民間からの寄付も状況は厳しいでしょうから、芸術団体にとって厳しい事態は続きそうです。

(2008.12.17)

Tag: 経営

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