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The Thomashefskys 体験記

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The Thomashefskys 体験記

The Thomashefskys を見ずしてマイケル・ティルソン・トーマスを語ることなかれ。ということで、行ってきましたThe Thomashefskys。

Thomashefskys

トマシェフスキーって何?という方は、まずこちらの記事から先にどうぞ。

台本もティルソン・トーマスが担当(本人にしかわからない)。基本的に記憶にもとづくため、毎回話すたびに違っていて、どれが本当?と言っていましたが、言われなくても、みんな察しがついているところがサンフランシスコ。

ティルソン・トーマスはおばあちゃん子だった(両親が共働きで留守がちだった)ことと、おじいちゃんはMTTが生まれる前に亡くなっていたことから、おばあちゃんにスポットを当てた内容でした。

ストーリー

お話の流れは、祖父のボリスと祖母のべシーが、それぞれロシアからアメリカへ渡ってきたところから始まり、二人の出会い、ボリスが主宰する芝居にべシーが加わり、看板スターになる様子、劇場が隆盛し、様々な作品を“イディッシュ”に取り上げた紹介、やがて二人の関係に亀裂が入り、破局が訪れるくだり、べシーはロサンゼルスへ新天地を求めて旅立ち、残ったボリスは時代の変化によってイディッシュ・シアターの栄光に影がさす中亡くなる、というもの。

この祖父母二人ともが豪傑で、祖父のボリスは、劇場で積極的に社会問題にも取り組んでいた一方、女性関係も派手、祖母のべシーは、当時としては非常に進歩的な女性で、まだ保守的だった社会で、未婚女性に避妊の知識を広める活動をしていたのだそう。

MTTの両親もこんな親を見ていたら、MTTが何やっても驚かなかったのでは?と思う次第。

音楽と構成

ステージはミュージカル仕立てで、祖父のボリスと祖母のベシーのそれぞれをミュージカル俳優が演じ、この他に若い頃の二人をクラシックの歌手が担当するという構成。

音楽は残っている記録とティルソン・トーマスの記憶を頼りに再構成したもので、オーケストレーションと編曲をティルソン・トーマスが担当。したがってかなりMTTフレーバー。

オーケストラは弦と、管はフルート1、クラリネット1、トランペット2、トロンボーン1、後はピアノにドラムセットとパーカッション1で総勢30人強。

音楽は基本的にブンチャ、ブンチャ言っているんだけど、このブンチャまで徹底的にコントロールされているサンフランシスコ交響楽団。MTTフレーバーとは、すなわち途中でいろいろチャチャが入るということ。人の曲を演奏してもチャチャ入れるみたいな表現にしてしまうときがあるくらいだから、自分で編曲したらそれはもう言わずもがな。

ベシーの歌をティルソン・トーマスがピアノで伴奏した曲があったのですが、伴奏の即興センスがさすがの冴えっぷりでした。

やればできる?

でもハイライトは、1曲まるまるティルソン・トーマスがひとりで歌って踊ったこと。しかも3コーラスもあった。

MTTの歌って、いつも調子っぱずれで「あらー、お気の毒」と思っていたけれど、今回はレッスンでも受けたのか妙にうまいし、何と音程が合っている(いつもの地声で歌っているのだけれど、キーがティルソン・トーマスの声が出る範囲にうまく設定されていた)。最後の振りもばっちり決まったところで、おばあちゃんのベシー役の俳優から、「Oh〜 Such a maestro!」とツッコミが入って終わるという完璧さ。

客席からは大量の「ヒュー」と「ピー」が飛んでいました。

と、せっかくほめていたところ、翌日行ったらまた調子っぱずれに戻っていた(あらら)。歌の前に咳払いしていたから、何か怪しい予感はありました。皆にほめられてプレッシャーかかったのか?

この他にも、イディッシュ・シアターがいろんな国の作品をそれらしく上演していたというくだりで、ひとつのイディッシュ語のセリフをフランス語、イタリア語、中国語に聞こえるようにしゃべるというのを披露して、タモリみたいでした。

【追記】
MTTの歌はこんなですが、祖父のボリスはきちんとした声楽の発声で素晴らしい歌声でした(映像を披露していた)。ひげや帽子など見た目からばりばりジューイッシュで立派な体格でした。

観客を育てる

ステージは、途中でやたら手拍子が入るのだけれど、サンフランシスコのお客さんはすぐに反応。強弱も休符が入るパターンでもばっちり。さらに「Watch your step!」って合いの手入れるところも初回から合唱。

この教育が行き届いている状態は何なのか?

私はティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の活動で注目すべきことの一つがこの「観客を教育する」という姿勢だと思っています。自分たちの望む方向に観客の耳を育て、鑑賞する態度を身につけてもらう。このためのあらゆる努力を惜しまずにこつこつ続ける。これを10年以上続けた成果が今の状態だし、これによって得られる効果は計りしれないものがあると思います。今彼らがいろんなプログラムにチャレンジできるのも、このおかげだと思います。

プロジェクトが意味するもの

今回のプロダクションは、音楽やストーリーに特別ドラマがあるわけではなく、ブロードウェイの演出家の方が手がけた舞台は、全体的にエンターテインメント性が強いものでした。でもやはり当時の残っている資料の量がものすごくて、よくこれだけよい状態で残っていたと感心(写真や資料、およびそれらをコラージュにしたものをスクリーンに流していた)。アーカイブは重要なのだと改めて感じたし、膨大な資料からビジュアル的にうまく表現していました。

それでもサンフランシスコ・クロニカルも書いていたけれど、この作品によってイディッシュ・シアターを知るというよりは、マイケル・ティルソン・トーマスというアーティストとはいかなるものかを見せられたという感が強かったです。

音楽はもちろん、表現豊かな語りが俳優みたいで、本当にマルチなエンターティナーぶりを発揮していました。

とりわけクライマックスのオチは、これぞMTTキャラ。

まずおばあちゃんは、ストゥルーデル(東ヨーロッパ伝統のアップルパイのようなお菓子)が得意だったというエピソードを紹介し、彼女が、子どものティルソン・トーマスにいつも語って聞かせた話に続くのですが、それは

劇場の一番舞台から遠くの席にいるお客さんは、一番安いチケットで来ているかもしれないけれど、一番劇場を愛してくれている人たちなのだから、いつもその人たちのところまで届く上演でなければならない。

というもの。そしてシーンと静まりかえった中、舞台中央のMTTにスポットライトがあたり、自分はいつも舞台に出る前に祖母からの教えを反芻するのだと語り、その教えとは、髪をきちんとして、ネクタイが曲がっていないか確認して、、、と来て、皆どんなすごい教えがあるのかと期待が最高潮に達したところで、

「Make the strudel!」(やりたいようにやっちゃえ!という意味だと思う)

とニヤリとした顔で言った瞬間に、パッと照明が落ちるというもの。

再び照明がついた後は、全員でフィナーレ。みんなで手拍子しながら歌ってお開き。

こんなこと思いつくのは、MTTしかいないと思うし、お客さん皆「Make the strudel!」の教えを本当に実践していることがよくわかるという点も含めておかしい。

家にあった音楽の正体

それにしても、おばあちゃんは夫と別離した後、ハリウッドでもう一花咲かせようとしたけれど、ユダヤ色が強すぎてうまくいかなかったのだそう。しょうがないって言うんで、仲間呼んで家のリビングで舞台の続きを夜な夜な繰り広げていたらしいのですが、その写真が、

「これ、家?」

って感じで、ティルソン・トーマスが言う、「子どもの頃、いつも音楽があった」というのが、これだったとは!

ニューヨーク・タイムズにティルソン・トーマスは、そもそも「過剰に“on”が入っている家系なのだ」と書いてあるのを読んだことがありますが、やっと意味がわかりました。

*****

公演
2008.6.12,13 デイビス・シンフォニーホール

host&script: Michael Tilson Thomas
director: Patricia Birch

cast:
Judy Blazer
Neal Benari
Ronit Widmann-Levy
Eugene Brancoveanu

(2008.6.15)

Tag: MTT コンサート

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