超大国アメリカの文化力、アメリカの非営利団体

超大国アメリカの文化力

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超大国アメリカの文化力

超大国アメリカの文化力
仏文化外交官による全米踏査レポート

フレデリック・マルテル著 
岩波書店 2009年

本書が意図するもの

原題は「アメリカの文化(De la culture en Amerique)」で、19世紀フランスの歴史家トクヴィルの傑作「アメリカのデモクラシー」に倣っているそうですが、この本を貫いている精神はむしろ、国家間や国際的な交渉に臨むにあたっての、Keep your friends close, but your enemies closer. 別の言葉で言うなら、敵を知り己を知れば百戦危うからず。

アメリカの文化は、単純で低俗、商業主義的で、世界をアメリカ化している(表紙裏より)

という認識で対アメリカに臨んできた欧州勢が、結果としてアメリカ文化にやられっぱなしだったのは、そもそもその前提となる認識に誤りがあったのではないかという問題意識が出発点です。

またタイトルは、「文化力」と広範なのですが、文化を商業的文化(ハリウッド映画、ポピュラー音楽、ブロードウェー・ミュージカル、ベストセラー文学など)とそれ以外の非商業的文化に分け、今まであまり知られていなかった非商業的文化が生産される仕組みとその背景となる思想にスポットライトをあて、それが商業的文化に与える影響と合わせてアメリカ文化を見てみよう。そしてアメリカ文化を考えることは、反射的に自国の文化を考えることに他ならないとしています。

グローバリゼーションと文化を考える

邦題に「踏査」とある通り、2001~2005年に35州を訪ね、700回のインタビューを重ねて書き上げた力作で、内容も面白いのですが、難点はボリューム。表紙などを除く中身部分だけで厚さ4センチ、608ページもある上に1ページが2段組み。

しかも章立てなどの構成がおおまかで、どこに何が書いてあるのか、どこが重要なのかパッと見わからない。編集面でもっと配慮があれば、より読者層が広がったであろうに残念です。

それでも最後に「結論」というまとめがあるので、どうしても読んでいられない人は、その部分と参考文献リストに目を通すだけでも役に立つと思います。

文化政策や文化支援という視点だけでなく、グローバリゼーションと文化を考える上でも、多国間ビジネスを展開する前提としても、そしてもちろんアメリカ相手に交渉するにあたっても、多くの示唆と考える素材を提供しています。ぜひビジネスマンや公務員の方にも読んでいただきたい本です。

成功事例としてサンフランシスコ交響楽団の活動が登場

なお、本書の中で「多様性」と「共通」のバランスが問題提起されるのですが、アジア系、ラテン系など多民族構成が顕著な都市でありながら、オーケストラが地元の誇りであるとの共通認識を形成させた成功事例として、ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の活動が紹介されています(537~541頁)。この他にも、スタッフが揃っていてガッサリお金集める非営利団体の例としても度々登場。

以下、本の構成と私が反応した部分のご紹介

第一部 アメリカの文化と政治

ここでは、アメリカにはなぜ文化省(庁も)ないのか?という疑問から、アメリカの政治と文化の関係を考察しています。

19世紀終わりからの各政権と文化の関係を人物とその背景から順に追っているので、ここで既に話が長い(300ページ以上ある)。中心は、冷戦が大きく影響する中、全米芸術基金(National Endowment for the Arts:通称NEA)が設立され、一時はNEAから芸術への直接支援が盛り上がるのだが、結局これが挫折してしまう経緯。

ここで原因となったのが、「芸術とは何か?」(芸術の範囲の問題)と「税金を使ってまで支援すべき対象なのか?」(ポルノグラフィなど)の論争。

結果として、アメリカの芸術に対する公的支援は非常に規模が小さくなり、しかも徹底して地方に分権化される。それでもゼロにはならないという点で、公的支援の役割は、芸術団体が正当性を認められるためにあるのだろうという指摘はその通りだと思います。

第二部 アメリカの文化と社会

ここでは、アメリカの非商業的文化を支える様々な仕組みに注目し、このセクターが非常に強みを持っていることを解いています。

仕組みとして取り上げられているのは、

  • フィランソロピー(財団)
  • 501c3(様々な税の優遇を受けられる非営利団体格)
  • 大学
  • コミュニティ
  • 芸術団体を支える3つの存在
    ボード(理事会)、基金(エンダウメント)、ファンドレイジング
  • 人的資源
    アートマネジャー、ボランティア

興味深かったのは大学の話。アメリカの大学は世界から優秀な人材を吸引する力を持っていて、それがアメリカの強みの源泉であるということは、多くの人が指摘し、よく知られていますが、芸術分野においてもそうだとは知りませんでした。

大学がアーティストたちに多くの雇用と、様々な実験の場を提供し、人々に芸術を提供する拠点としても大きな役割を果たしているそう。どうりでサンフランシスコ交響楽団もツアーで大学に行くし、UCバークレーで学内ホールの催し案内を見たときも、出演者がチェチーリア・バルトリとかヨーヨー・マとか、日本に来たら最高ランクの値がつくアーティストが学生価格でびっくりだったのですが、全米中でそのようになっている模様。

アメリカでは501c3団体を支援する仕組みが、直接だけではなく間接含めて様々にあり、結局のところヨーロッパの公的支援と変わらない規模の優遇を受けていると分析していました。

今日的課題:民主化、商業化、多様化

最後にこれらの仕組みが、今日的状況の中でどういう問題に直面し、変容してきているのかを考察しています。

民主化

これは、たとえ芸術であっても「人民のためのもの」でなければならないという民主主義イデオロギーのこと。この思想の強さがアメリカの非営利団体を一斉に教育プログラムに走らせる。

公的、民間問わず教育事業やアウトリーチが支援の条件になっていたり、個人からの寄付集めにしても、「教育プログラムのため」をうたう方が遥かに楽に資金が集まるという指摘、さらに目に見える形で成果を求められることから、学校数や人数という数字で表現できる教育プログラムは、そういう点でもうってつけという指摘は、まさにその通り。

商業化

非営利組織は、「企業的な」非営利団体化しているが、これはファンドレイジングと基金(エンダウメント)の運用のメカニズムが大きく影響していると分析しています。

商業化の負の面(美術館の“ブロックバスター”大型展志向、トップの人件費高騰、演劇の衰退など)は確かに大きいものの、反面サンフランシスコ交響楽団を例に挙げると、商業化の恩恵なくしてはマーラーもKEEPING SCOREもなかったであろうことを考えると、プラス面もある。今出ているのは、行き過ぎたことによる弊害なのでしょう。

多様化

黒人だけでも、奴隷の歴史を汲む黒人と自らの意思でアメリカに来た黒人に分かれ、ラテン系もアジア系もゲイも様々に入り乱れるアメリカ社会。

それぞれの多様性を生かしながら、共有するものをどう築くのか?

また人的な多様性だけでなく、都市と郊外、そのまた郊外との間で生じる分断。

文化そのものへの支援から、都市の再生に文化を生かすという位置づけの変化。

アメリカ文化は、一方には、文化的活動における民主主義の理想、もう一方には、国家の脆弱さと商業文化の帝国主義の現実の2つを体現していると結んでいます。

アメリカは戦い続ける

この本では明確に使ってはいませんでしたが、やはりアメリカ社会のキーワードは、「カウンター・ディスコース」(対抗する言論が常に出てくること)なのだと思います。そして戦い続けるのがアメリカ。

間違いも犯すし、何だかぐちゃぐちゃやっているけれども、それでも何かが出てきて前に進むのがアメリカなのだと思います。

(2009.4.4)

 

Tag: 経営

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