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ニューヨーク公演2日目:マーラーの復活

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ニューヨーク公演2日目:マーラーの復活

ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の2010年のニューヨーク公演、2日目のプログラムはマーラーの交響曲第2番「復活」。

MTT/SFSコンビのマーラーの録音の中でこの復活は、他の作品に比べるとまだやりようがあるというか、進歩できる余地が残されているように感じていたので、生で聴いてみたかったのです。さて、2004年の録音に比べてどう変化しているか?

結果を要約すると、MTTは正攻法で正面突破。過剰なストップややり過ぎもナシ。オーケストラは確信を持って弾いていました。

mahler

2週間くらい前にsold out。私はオーケストラフロアの後ろ寄り下手側の席だったのですが、ちょうど指揮者方向の視界の前列の人が来なくて空席。よって、指揮者がとてもよく見えた。必然としか思えず、笑う。

1楽章

冒頭の低弦、CDのあの「ビュン」とした響きは録音とオーディオの力で、生で聴いたらあの情報量が詰まった感じはしないのではないかと予測していたのですが、SFSの弦楽セクションへの取り組みが実り、重量感のある音の残響がビュンと残っていました。付点のリズムへのこだわりも変わらず。

冒頭からの一連の部分がトウッティで終わり、木管のメロディーが新たに入ってくるあたりまでで、今日はいけるのではという予感がしました。MTTは集中力の塊みたいな尋常ではない雰囲気で、細かな入りの指示は少なく、表現のみに注力しているようでした。

最初に弦が静かに歌うところは、旋律の山にあたるスラーにテヌートがついている二つの音をひらりと翻すように弾いていました。これは最近決め手になるところで使っている表現。弦では他に、静かなところでの湧き上がるような表現が印象的でした。

とにかく全員に曲の全体像と作り上げるもののコンセンサスがあって、オーケストラが確信をもって演奏しているのがわかるのです。そしてどこも全く危なげがない。

アンサンブルでは、パート間の受け渡し、例えばファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンとか、セカンド・ヴァイオリンとヴィオラの間のやりとりや受け渡し、また旋律の途中で担当する楽器が変わるところなどが、ものすごく神経を使って自然なのだけれど、その音色やテクスチュアが変化した様が聴き手に伝わる。

私が好きな再現部に入る前の下降音型の部分も、Pで残る弦との劇的さが見事に決まっていました。1楽章最後のテンポプリモは、ほんの気持ちだけアッチェルランドをかけていたように感じましたが、効果的だったのではないかと思います。

曲の終わりは、ものすごい集中力でした。終わったとき拍手が起きましたが、思わず拍手しちゃう気持ちはわかる。

2楽章

2楽章はCDよりもややゆっくり目のテンポ。何と言ってもカウンターメロディーの扱いにこだわっていました。印象に残っているのは、冒頭から進んで三連符が続くところが終わり、また冒頭のメロディーに戻るまえのつなぎ、弦のDisの音の響かせ方がふわっと浮いて持続する感じでした。

2楽章の終わりも、また集中力。そしてここでも拍手。

3楽章

3楽章は2楽章とは対照的に、CDよりもやや速めのテンポ。快調に進む中にいろんな要素が浮かんでは消え、浮かんでは消えするさまと大きなうねりが表現されていました。

4楽章

原光のメゾ・ソプラノはカタリナ・カルネウス。出だしはもう少し朗々と響き渡る感じがほしかったですが、これは私がハンプソン(子どもの魔法の角笛)で聴いたときの印象が強いから感じたのかもしれません。

5楽章

そして劇的に5楽章へ突入。ここまであっと言う間に来たような気がしました。

5楽章でまず印象的なのは、舞台裏で演奏したメンバー。バランスと遠近感を極限まで追求していたと思います。

5楽章でティルソン・トーマスは、劇的なメリハリある構成を展開しつつオーケストラ(特に金管)にスケール大きく歌わせていました。

合唱は、Westminster Symphonic Choir。大学の合唱専攻の学生からなる合唱団で、多くのオーケストラと共演実績がある団体のよう。MTTはこの合唱団にも透明性の高い響きを強く要求したみたいで、一生懸命それに応えるべく歌っていました。合唱にソプラノのソリストがかぶさっていくところは、ローラ・クレイコムが最初椅子に座ったまま合唱と歌い、ソリストの声が立ち昇るところで椅子から立ち上がっていくという演出だったのですが、期待に違わず美しい響きが広がっていました。

合唱やソリストが入ると要素が多くて、オーケストラだけのときのような表現のディテイルといったミクロな視点は後退し、マクロな視点で聴くことになるのですが、合唱のクライマックスまで一気に進みました。

最後は高らかに歌い、正々堂々としたMTT/SFSのマーラーここにありという感じで幕。全楽章通して見事に描ききっていたと思います。

残響が消えた瞬間、嵐のようなブラボーと拍手でした。

MTTも出来に満足していたと思います。コンマス二人の手にキスしていましたから(初めて見た)。

総括

CDの演奏は、個々を見ると完成度が高いけれど、全体を通すと印象が薄くなってしまうような気が私はしていたのですが、今回は散漫さを全く感じませんでした。ティルソン・トーマスの集中力のせいかもしれませんし、彼らのマーラーの完成度が上がっているということにもよるのでしょう。

また、過剰なストップもやり過ぎと思われるような表現もなく、とても自然でした。MTTは左手で一旦切る動作を多くやっていましたが、間を空けずに音楽は続いていました。ということは、間を空けるときには明確な意図の違いがあるのだろうことがこれでわかる。

MTTはマーラーの音楽について、ちょっと前まではslice of lifeだと言っていましたが、最近はライフ・ログだと言っています(ベイエリアに染まっている)。どちらも意味は同じですが、今回の演奏はその言葉どおりの内容が詰まった壮大な絵巻だったと思います。

「復活」は来年5月のウィーンのマーラー・メモリアルでも演奏予定。

コンサート:2010年3月26日カーネギーホール

Laura Claycomb, soprano
Katarina Karneus, mezzo-soprano
Westminster Symphonic Choir
Joe Miller, conductor

(2010.3.28)

Tag: ツアー コンサート

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