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サンフランシスコ交響楽団の100年史が物語る“オーケストラは都市の鏡”

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サンフランシスコ交響楽団の100年史が物語る“オーケストラは都市の鏡”

サンフランシスコ交響楽団の創立100年を記念した楽団の100年史

Music for a City, Music for the World
100 Years with the San Francisco Symphony
by Larry Rothe

が出版されました。注文したら即送られてきたので、内容をご紹介します。

著者は、シンフォニーでプログラム冊子を作っている方。プログラムやポスターなどの資料、写真、関係者の証言を豊富に織り交ぜ、10人の音楽監督の時代で区分し、時系列でこの100年を振り返っています。

本は24センチ×31センチで271ページ。かなりボリュームがありますが、サンフランシスコの人々がオーケストラをどう創り上げてきたかを詳細に追っており、大変な力作です。

私はエド・デ・ワールト、ブロムシュテット、ティルソン・トーマスの3時代をとりあえず読みましたが、それぞれにドラマがある。特に印象に残った点をご紹介します。

デイビスホールがオーケストラの転換点だった

エド・デ・ワールト時代の1980年にデイビスホールが完成。それまでウォー・メモリアル・オペラハウスをオペラ、バレエ、シンフォニーの3団体で分け合って使っていたのから、初めて年間を通して活動できるオーケストラになりました。オーケストラ・メンバーもそれまではオペラのオーケストラと兼任していた人が多かったため、メンバー的にも新しいオーケストラに。

ところがホールの音響が良くなかったため、本当にホールがオーケストラの一部になったのは、音響の抜本的な改善工事を行った後の1992年。これはオーケストラのレベルを上げるには音響のよいホールが不可欠であるとブロムシュテットが尽力したことによるそう。

サンフランシスコ交響楽団の演奏レベルが向上したことに、いかにホールが関わっていたかがよくわかりました。

“greatness”には何が必要か?

本を読むと、偉大なオーケストラになるために自分たちに何が必要か?ボード、ミュージシャン、アドミニストレーションのメンバーが議論をしたというくだりが何度も出てきます。

1980年頃長期計画の策定にマッキンゼーも参画、「エクセレント・カンパニー」の共著者であるロバート・ウォーターマンとトム・ピーターズの二人が関わっていました。そこで掲げられた3つのゴールが、

to be a great orchestra(偉大なオーケストラになること)
to be recognized as great(偉大なオーケストラであると認識されること)
to serve the community(コミュニティに貢献すること)

そして最後につけ加えられたのが、
to do all this in a fiscally responsible way(これらすべてを財政的に履行可能な方法で行うこと)

この方向性は今日まで引き継がれていますから、非常に興味深いと思いました。さらにここから導かれた具体策が、ツアー、録音、放送、ホールを観客でいっぱいにすること、強力なボードをつくって巻き込むこと。これを本当に一つひとつ実行していったのでした。

彼らのやったことを見ると、ツアーの存在が大きい。エド・デ・ワールトの時代まで、東海岸にツアーすることさえ何十年もない状態で、ブロムシュテットになって立てた目標が「毎年カーネギーホールで演奏する」だったというから、今となっては隔世の感があります。1回のツアーは周れる都市の数もコンサートを聴ける人数も限度があって、私は彼らのツアーを観に行って、砂漠に水をまくようだ(オーケストラの評価に対する先入観は根強くて、それを変えるのは容易ではない)と感じるときもありますが、それでもやらない限り変わらない。

音楽監督の強力なエネルギー

まだ3人分しか読んでいませんが、音楽監督というのはここまでエネルギーを注ぎ込むものなのかと圧倒されます。

エド・デ・ワールトは今でもサンフランシスコ時代を振り返って、人生で最も力を使ったと思うそう。確かに彼の時代にホールが完成したし、冒険心に富んだプログラミングや同時代作品の演奏など、今サンフランシスコのトレードマークになっているものは、彼が始めたものが多い。

ブロムシュテットは、やることなすことに崇高さが漂っていて、彼が尊敬を集めている理由も彼の貢献もよくわかる内容。やっぱ彼の地味キャラのもと、実直に古典的レパートリーに取り組んだことが今につながっている。そしてブロムシュテット→ティルソン・トーマスと、二人とも非常にきっちりした音楽づくりをするという土台部分で大きく重なっていながら、キャラがまるで正反対であることが、今振り返れば絶妙な連携/継承になったのだと思います。

MTTの代については、私が彼らの存在に気づいたのが2006年と最近であることから、特に最初の5年がどうであったのか?常々知りたいと思っていたことをかなり解消することができました。サンフランシスコにやってきた当初のMTTはロックスターみたいな風情(短期間でこんなに白髪になるのは不自然ではないか?途中どこかの時点でナチュラル路線に変更したのか?)。グレートフル・デッドやメタリカとの共演は聴きたかった(メタリカはDVDでは観ましたが)。

若い小澤がエネルギッシュにがんばっていた写真も豊富に掲載されているので、小澤ファンの方も楽しめると思います(ただし、サンフランシスコ的には、小澤が当然のようにSFではなくボストンを選んだことに複雑な感情があるもよう。逆に言えば、そうしたこともSFの人々がトップ・オーケストラを創ろう!と行動したことにつながっている)。

アメリカン・オーケストラの歴史は市民活動の歴史である

アメリカのオーケスラはローカルに根差しつつ、1960年代に録音の発達やメディアを通したスターの登場などにより大きく変化します。次の波は、1980年代後半から始まる教育プログラム。これがオーケストラのありように大きな変化をもたらしました。

この本では、こうした流れの中で彼らがどう行動してきたかということがつぶさに紹介されていますが、創設から現在まで一貫しているのは、“民間、自主独立、相互扶助”だということ。

一つの出来事には、必ずその実現に向けて尽力した市民がいる。

これがアメリカなのだと思います(財政的には景気の荒波との戦いの連続でもある)。

最後は、サンフランシスコ交響楽団は世界にイノベーションを起こしていくベイエリアの“ありよう”を現し出した存在なのだ、物語は続くと締めくくられています。非常に彼の地らしいですが、やはりサンフランシスコ交響楽団はベイエリアという土地柄に影響され、また同時に影響を与える存在でもあるのだと思います。彼らの物語がどう展開していくのか?今後に期待します。

(2011.7.1)

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